ご案内

D銀行では、このところ年間1000件のペースで新規申込みがあり、見通しは明るい。
銀行にとって「信託」は生き延びるための主要業務の柱である。 必死の覚悟で遺言信託獲得を進めるに違いなしユD銀行は銀行あげて“新しい日本のプライベートバンク”の構築を目指している。
「アジア、関西、信託」が合言葉ちょっと本筋をはずれるが、“THN”によれば、N財閥の創立者、N徳七は1918年には「N銀行」(現・D銀行)を設立したが、同時にアジアへの進出を積極的に図った。 N徳七商店(現・コスモ証券)は、証券業務で台北や大連へ進出する一方「N東印度殖産」を蘭領東印度諸島(いまのインドネシア)に設立した(1927年)。
いまのインドネシアのスマトラを中心に、主にゴムと石油の事業を拡げて、支店をジャカルタ、スマトラ、シンガポール、ハノイまで次々と設置していった。 1927年当時、N銀行の最大の貸出先はこのN東印度殖産であった。
1945年の敗戦でこれらの海外拠点はすべて失われたが、戦後、D銀行は徳七の事業の夢を引継いで、1957年にいち早くジャカルタに進出した。 合弁銀行ではあるが、D銀行が頭取を派遣しているジャカルタの「フソレダニア銀行」は7つの支店を持ち、現地銀行として業務の80%以上が中小企業を中心とした現地取引で好業績をあげている。
前述の「巨額損失事件」でアメリカを追われ、ヨーロッパから引き上げるD銀行にとって、残る海外はアジアだけである「アジア、関西、信託」を新生D銀行の合言葉にする海保頭取のアジアへの想いもここにある。 ニューヨークの事件以来、D銀行の首脳陣は財界活動からも遠ざかっていたが、あれから3年、最近の首脳陣の関西経済団体への復帰は目覚ましい。

自信の表われだろう。 D銀行は1998年の夏には創立80周年を迎えるので、それまでに経営を正し、新しい路線を軌道にのせねばならない。
住友銀行との合併の噂も消えた、独立路線でいく、とあるOBは言っている。 D銀行では昨年から支店長会議に関連会社も出席させている。
海保頭取は「関連会社の機能やノウハウを生かし“オールD”で今後の取引を推進するため」と言っている。 97年12月からの投信の窓販の助走である「間貸し」方式が始まった。
D銀行では、血の通った「兄弟」筋のコスモ投信委託の投信を販売する。 グループの力を有機的に活用するのは、これからの銀行経営の重要なポイントである。
信託の初心に還る時かつてニューヨークへ出張した時「日本には信託銀行はあっても、本来の意味の信託はないのではないか」とアメリカの信託会社でいわれ、あ然としたことがある。 日本の信託銀行が、銀行業務に片寄って、融資残高をやみくもに増加させたり、ニューヨークやロサンゼルスで不動産を買いあさるなど信託らしからぬ仕事に夢中になっていたからであろうか。
10年前、ロサンゼルスでビジネス街の地図を見せられたが、有名なビルディングには、日本の信託銀行の頭文字の入った旗ピンがいたるところに付けられていたのを覚えている。 それとも圏内で貸付信託や金銭信託など販売で「マス」を追い求め、その販売量を競い合ったり、証券パプルに便乗して「特金」や「ファントラ」の獲得競争に走って本来の「信託」のイメージから離れていたからであろうか「日本の信託銀行はニューヨークの商業銀行とどこが違うのか」と問われたことはいまでも忘れられない。
外部からはきっとそう見えたのであろう。 「信託」の思想とプライベートバンキングのよって立つ経営の考え方は、委託者の「負託」に応えてその資産を守り、生かすという目的からして共通点が多い。
日本の信託制度は1923年(大正12年)に信託法と信託業法が施行され、三井(1924年)、住友(1925年)、安田(1925年)など大資本によって信託会社が設立され、始まったものである。 以来、信託財産は順調に伸び、1928年(昭和4年)には早くも15億円(いまのお金で何兆円になるだろうか)を超え、信託会社は金融業界での地位を確固たるものにした。
戦後は財閥解体で経営基盤を失い、破産の危機に瀕したが、1948年(昭和23年)に信託六社は銀行に改組し「信託銀行」に生まれ変わった。 それでも経営の苦難は続き、1952年に導入された貸付信託や金銭信託等の販売でやっと息を吹き返した。
これにより長期資金を調達し、貸出を行う金融機能と、信託業務の本質である財務管理機能をあわせ持つことになったのだが、どうも都市銀行や証券会社(投資信託)との競争を意識しすぎて前者に傾斜したきらいがある。 貸付信託で資金を集め、長期資金を貸し出すだけであれば、債券を発行して長期に貸出をする長期信用銀行と変わりはないのではないか。

いま、バブルの崩壊と修復の過程で、実損でも社会的評価でも一番大きな犠牲を払わされている金融機関は信託銀行であろう。 特金やファントラなどで顧客の信頼を失った痛手も大きい。
信託業務にも、プライベートバンキングにもイメージは非常に重要である。 いま、信託銀行は信託の初心に還って経営姿勢の建て直しに懸命である。
日本の信託協会の資料に、昭和3年、わが国の当時の高等小学校の3年生用の読本(教科書)に信託を紹介した一文が載っている。 昭和3年といえば、金融恐慌の最中で有力な銀行の倒産が相次いだ頃である。
その一部を抜粋する。 「銀行と相侠ちて近時我が国の経済界に重要な地位を占むるに至れるものは、信託業なり。
信託とは、財産を他人に委託し、受託者をその財産の権利者たらしむるものにして、受託者は委託者の希望にしたがひ、最善を尽くして其の委託せられたる財産の管理・運用利殖に力むるものとす」70年後の今日でもなんと生き生きと「信託」を表現していることだろう。 信託の教科書といわれる太田達男氏の名著「信託読本」によれば、信託の始まりは、中世イギリスの一種の法的慣習である土地の管理形態「ユース」(Use)にあり、これが多用された11〜13世紀の十字軍の時代と言われる。
イスラム教徒に占領されたままのユダヤの聖地エルサレムを、キリスト教徒の手に奪回しようというローマ法皇の呼びかけで西欧各地の王侯や騎士達が立ちあがり、ヨーロッパ各地から十字軍の名のもと大軍団が組織され、数次にわたり海と陸地からエルサレムを目指した。 イギリスからも大勢の騎士達が十字軍の遠征に参加した。

一度出征すれば、手強いイスラム軍と戦い、戦死するかもしれない。 海難もあれば途中には盗賊もいる。
病死も覚悟せねばならない。 無事生きて帰れるとしても早くて1年、戦いによっては2年3年後である。
留守が心配になる。 そこで自分の財産(荘園一農地や小作人、家畜を含め)を領主や教会、寺院などに「Trust」して預け、留守中の管理と万一の時の約束通りの相続の実行を委託した。
これが「トラスト」の始まりである。 Trust(トラスト、信頼)の原義は「堅固」であるが、これを「信じて託す」。
信託と訳したのも名訳であろう。 世界最古の中央銀行の1つであるイギリスのイングランド銀行(BOE)の玄関に入ると、金融の基本はTrustにあり」という碑が壁に掲げられている。
アメリカのドル紙幣の裏には「God we Trust」とある。


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